藤森 弘の年譜(経歴)  
1962年 昭和37年 10月、長野県岡谷市長地東堀(柴宮近くの中仙道と県道の交差点角地)に生まれる。
父:藤森良勇 母:藤森栄子  
名前の由来は、祖母が「弘法大師の生まれ変わりになってほしい」との願いを込めて命名してくれたとのこと。
1963年 昭和38年
1964年 昭和39年
1965年 昭和40年
1966年 昭和41年 旧東堀保育園に通う。
1967年 昭和42年
1968年 昭和43年
1969年 昭和44年 岡谷市立長地小学校に入学
1970年 昭和45年
1971年 昭和46年
1972年 昭和47年
1973年 昭和48年
1974年 昭和49年
1975年 昭和50年 岡谷市立岡谷東部中学校に入学。
1976年 昭和51年 バレーボール部で活動(ソウル五輪代表の井上 譲くんとチームメイトだった)
1977年 昭和52年 スケート部で活動(サラエボ五輪代表の今村俊明くんと部活動で一緒だった)。生徒会副会長を務めた。
1978年 昭和53年 長野県立諏訪清陵高校入学。
1979年 昭和54年 担任は数学科の植原 操先生。バレーボール部に所属(監督は小池忠男先生)
1980年 昭和55年 学友会協議会議長を務めた。
1981年 昭和56年 慶應義塾大学法学部政治学科に指定校推薦で入学。
1982年 昭和57年 丸山真男学派の系統を受け継ぐリベラル政治学者である内山秀夫ゼミに所属。
比較政治学専攻。
1983年 昭和58年 「地域主権の国際政治学」をテーマにドイツのみどりの党に影響を与えたフランクフルト学派の政治理論、政治思想、政治哲学を研究した。
1984年 昭和59年
1985年 昭和60年 慶應義塾大学在学中に旧東京宝映テレビ(現・宝映プロダクション)専属劇団フジの正劇団員として活動。「燃える南十字星」「検察側の証人」「ストリート・シーン」「堕胎医」など数々の舞台に出演。
TVや映画にもにエキストラ出演した。大学在学期間を延長してシナリオ作家を志したが挫折。6年間、大学生として過ごした。
1986年 昭和61年
1987年 昭和62年 慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。
八十二銀行に入社。出納係、融資分署係を担当。
1988年 昭和63年 信濃毎日新聞社に中途採用されて入社。飯田支社で下伊那町村担当記者、飯田市政担当記者、長野本社で経済記者クラブ報道記者、文化部記者を務めた。飯田市政では「人形劇の町づくり」をリポート。経済記者クラブでは「信州フラワービジネス最前線」をリポート。文化部では「女しあわせ探し」シリーズの企画記事を担当。「過労死−妻が書くカルテ」は大反響を呼んだ。また、南信濃村の高齢者生活福祉センター「遠山荘」からの滞在リポートへの反響も大きかった。この間に執筆した記事をまとめて自著『足跡』を1997年に自費出版した。
1989年 平成元年
1990年 平成2年
1991年 平成3年
1992年 平成4年
1993年 平成5年 信濃毎日新聞文化部で書評委員を委嘱していた文化人類学者の山口昌夫氏が、福島県奥会津の昭和村にある喰丸小学校の木造廃校舎を再生させた「喰丸文化再学習センター」を設立する計画が持ち上がり、同センターの事務局を手伝うことになって信濃毎日新聞社を退社。昭和村教育委員会の嘱託職員として赴任。当時の昭和村は豪雪地帯にある山村で人口は2000人ほど。人口が全国2位の少なさで、過疎化と高齢化の極地とも言える村だった。しかし、そこで暮らす人々の笑顔は素晴らしく、共助組織の「講」に守られ、「一周遅れのトップランナーになろう」が合言葉だった。
 同センターを訪れた中沢新一、井上ひさしなどと交流。山口氏が主宰する大学の研究会や八王子のセミナーで浅田彰、大江建三郎などとも交流した。ロシアの即興音楽グループ「アストレイヤ」と地元のお神楽愛好会とをマッチングさせた地域振興演奏会を企画プロデュースし、大喝采を浴びて、全国ニュースになった。
 フリーライターとして福島民報社の「文化サロン」に寄稿した一連のエッセイに「グローカル文化の胎動」農山村の優位」「電影人間の誕生」「<環>の思想」「地域活性化の秘薬」「道化師の夢想」がある。他、「I love 信州」青春ポエムコンテスト入賞作品、エッセイ「高齢者王国の建設へ」などを所収した「足跡」を後に自費出版した。
1994年 平成6年 父親の死去を契機に岡谷市に帰郷。学習塾の「信濃義塾」を岡谷駅近くに開設。後に代ゼミサテライン予備校を併設した。「地域主権」という大学時代からの政治哲学を胸に、「地域づくりは人づくり。教育は未来づくり。」という理念を具現化する場としての私塾開設だった。
1995年 平成7年
1996年 平成8年
1997年 平成9年 妻と結婚。年末の大みそかに長女誕生。
1998年 平成10年
1999年 平成11年
2000年 平成12年
2001年 平成13年
2002年 平成14年
2003年 平成15年 長野県議選に挑戦するも落選。
2004年 平成16年
2005年 平成17年 小中高校生向けの学習塾である信濃義塾に加え、中高年齢者向けのパソコン教室や投資顧問事業を併設して株式会社セルフネットを設立。WebTVのプロデュースを手掛けた。
2006年 平成18年 長野市に株式会社セルフネット長野支社を設立。
2007年 平成19年 地域政治団体「信州みどりの党」を設立して岡谷市長選に挑戦するも落選。
2008年 平成20年 米サブプライムショックの余波で投資顧問事業の会員数が急減して株式会社を清算。個人事業に改組。3月に信濃義塾も閉鎖して上京。千葉県船橋市に首都圏事務所を開設し、岡谷市の自宅(本部事務所)とを行き来するようになった。津田沼駅前で進学塾の早稲田アカデミー講師やプロ家庭教師を務める傍らで、フリーのライター兼編集者として活動。学生時代の演劇仲間の紹介で役者活動を再開。土日、祝祭日にTVや映画のエキストラや端役の出演で副収入を得た。
 TVドラマでは「相棒」「刑事7人」「遺留捜査」「広域警察」「西村京太郎トラベルミステリー」「所轄魂」「おかしな刑事」「スペシャリスト」「警視庁・捜査一課長」「あんみつ検事の捜査ファイル」など、映画では「真田十勇士」「相棒4」「エイト・レンジャー」などに端役やエキストラとしての出演実績がある。
2009年 平成21年
2010年 平成22年
2011年 平成23年
2012年 平成24年 長女の進学先の高校が東京都内に決まったことで、千葉県松戸市の広めの住居に首都圏の活動拠点を移設。岡谷市の自宅&事務所と松戸市を行き来するようになった。フリーランスのライター&編集者、舞台の企画、WebTVプロデューサー、評論家、コンサルタントとして活動範囲を広げた。
2013年 平成25年 劇団ザ・ライフ・カムパニイのミュージカル「風よ、千年の彼方へ」に出演。
2014年 平成26年 劇団フジの「脅迫結婚〜黄昏の狂詩曲」に劇団OBとして客演。
劇団ザ・ライフ・カムパニイのミュージカル「カモメに飛ぶことを教えた猫」に出演。
2015年 平成27年 劇団フジの「火の用心にご用心」に劇団OBとして客演。
劇団ザ・ライフ・カムパニイのミュージカル「Hospital Hospital」に出演。同作品で全国の高校巡業公演に参加した。
2016年 平成28年 新進党、民主党、無所属、自民党と渡り歩いた後藤茂之代議士の後援会活動を一貫して続けていた縁で、党員拡大運動をしていた秘書から勧誘を受けて自民党に入党。自民党内の守旧派勢力に距離を置きつつ、保守改革派(リベラル)勢力を応援した。
2017年 平成29年 三井住友海上あいおい生命の保険金&給付金請求コンサルタントとしてコールセンターお客様相談室勤務。
2018年 平成30年
2019年 令和元年 リベラル政治団体「虹の会」を設立して岡谷市議選に挑戦するも落選。幾多の選挙戦後のしこり、しがらみが岡谷市政の混乱と分裂と停滞を招いているとの認識から、後援者の顔が見えない新たな選挙手法を模索。岡谷市政をリセットして再出発を図るためには自己犠牲を強いるのもやむなしとの強い思いだった。非常識と無理は承知のうえで自己責任を貫く“ひとり選挙戦”を試みた。選挙ポスターはすべて自分自身で貼り、選挙チラシの証紙貼りはすべて妻ひとりが担当。YouTubeによるオンデマンド選挙演説、メールやSNSを用いた選挙運動など、“デジタル選挙革命”を自ら体現することで新時代の“金のかからない選挙”の実現を試みた。が、御高齢の皆様には馴染みがなくて分かりづらかったらしく、私の志や真意や政策が伝わらなかったことは残念だった。しかし、後悔はなく、晴れやかな気分が私の心を満たした。
2020年 令和2年 松戸市の首都圏事務所での仕事が多くなり、プロ家庭教師として御三家をはじめ早慶付属、公立トップ校など難関中高受験生を合格に導く一方で、何らかの理由で学校に行けなくなってしまった子供たちの個別進度学習プランを立案して在宅学習をサポートした。このころ多様性を尊重した教育の複線化改革の必要性を痛感した。
2021年 令和3年
2022年 令和4年 防衛費GDP2%(1%から倍増)、敵基地攻撃能力許容の閣議決定に義憤に駆られ抗議して自民党を離党。
2023年 令和5年 定数割れとなった岡谷市議選にエントリーして無投票当選。会派:おかや未来研究室に所属。産業建設委員会副委員長、議会改革委員会ICT推進部会副部会長に就任。

プロフィール

<趣味> 観劇、TVや映画のエキストラ出演 

<座右の銘> 天人一如、苦難福門

<資格> ファイナンシャルプランニング技能士、証券外務員資格二種

妻と長女との3人家族(2023年11月)



 新聞記者時代の記事や若き日のエッセイをまとめた自費出版本。

    定価2,200円(税込み、残部僅少) 購入希望者はメールでお申し込み願います。selfnet777@ymail.ne.jp